通りすがりのお寺の入り口に、こんなものが貼ってありました。なんとなく、心に引っかかったので、写真をパチリ。
「永遠に生きるつもりで学ぶ」
「永遠に生きるつもりで学ぶ」ってどういうことだろう。
もういい歳だから、今更何かを学んでも仕方がない・・・と考えるのではなくて、何歳になっても学ぶのに遅いことはないんだよ、というようなことでしょうか。
そういえば、若い頃に読んだ村上春樹の小説にこんな文章もあったなあと連想。
あらゆるものから何かを学び取ろうとする姿勢を持ち続ける限り、年老いることはそれほどの苦痛ではない
「風の歌を聴け」村上春樹
18歳の頃に読んだので、その時は年老いるということに全く実感なんてなかったのだけれど、この文章はなぜか頭の奥に残っていた。そしてそれから何十年も生きているのだけれど、誰かと何かの拍子に「いやー、俺たちも歳をとったよねー」なんて会話を交わすたびに、頭の片隅で思い出したりしていた文章です。
もちろん村上春樹も言っているように、これは一般論であり、僕だって「あらゆるものから何かを学び取ろう」という勤勉な生き方をしている訳ではない。
本当に微塵もない。それができていればガンジーになれてるし。。。(笑)
でも、この文章を思い出すと、年老いることが苦痛でなくなるのはなぜなんだろう。
このブログもいい歳をして始めた訳だが、こうやって新しいことに挑戦することは確かに楽しい。
「明日、死ぬつもりで生きる」
ジョブスが演説で「今日が人生最後の日だとしたら、私は今日する予定のことをしたいと思うだろうか」と語ったのを聞いたときに、その人生最後の日をどう過ごすのか僕には全くイメージができなかった。バタバタとやりたいことをやるのか、お世話になった人たちに感謝とお礼を伝えに回るのか、自暴自棄になって刹那的に過ごすのか。。。
その後、このガンジーの言葉を見て、「そうか、明日死んだとしても悔いを残さない生き方をしろ、というメッセージなのか」と納得できました。
また、スケート選手の小平奈緒さんが1000メートルの銀を取った後のインタビューで、こんな風に言っていたそうです。
私「小平奈緒」って言う生き方をしていきたいなと思っているので、「永遠に生きるかのように学べ、明日死ぬかのように生きろ」と言う(ガンジーの)言葉があるんですけど、そういう言葉のようなシーズンを送れたらいいかなと。
2017年4月会見にて
小平さんはすごいなあ、と思うし、僕はとてもじゃないけどそんな立派な生き方はできない。 メダリストにもガンジーにもなれないのです。(笑)
でもね、永遠に生きるつもりで学べ、明日死ぬつもりで生きろ、という相反するメッセージが対になって語られた時に、そこには矛盾も感じるのだけれど分かりたいとも思うのです。
そしてこの矛盾を受け入れてみたいとも思うのです。