将棋の藤井聡太7段、つい最近は17歳11カ月でついに棋聖のタイトルをとり、史上最年少と話題になりました。ちょっと想像できないくらいに強いよね。でもその強さ、すごさはほかのところで色々ニュースにも話題にもなっているので、ここではそれとは別のエピソードをご紹介したいと思います。
あるイベント会場で藤井7段がファンからの質問に答えるコーナーがあったそうで、そこで「将棋の神様にお願いするなら何をお願いしますか?」という質問があったそうです。凡人の僕ならば、「もっと将棋を強くしてください」とか「タイトル全て取らせてください」とか俗っぽいお願いが頭に浮かぶ。でもそこは藤井7段、普通の答えではないところに感心しました。その藤井7段の答えとは、
「せっかく神様がいるのなら、一度お手合わせをお願いしたい。」
恐らく本当にそう思って答えたのだろう。神様に「何かしてください」とお願いするのではなく、真正面から「お手合わせ」をしてほしいという気概が素晴らしい。将棋の神様ならさぞかし強いだろうから、勝負してみたい。そして、「神様はどんな将棋を指すのか」という真っすぐな好奇心、まっすぐな気持ちが見えてくる。きっと、藤井7段は、もっともっと強くなっていくんじゃないかな。
同じ神様つながりで、野球のホームラン王の王貞治選手のエピソードも思い出す。王選手はもちろん世界一のホームランバッターで、僕の持っている印象は、まじめな努力の人というイメージ。すごい記録を作った選手というのは知っていたけれど、実際にはそんなに詳しいわけではないのです。で、ある時たまたま見ていたYouTubeで、王さんがバッテイングについて解説している動画があったのだけれど、ものすごく理論的で驚いた。バットの使い方、重心移動、スイングのイメージ、そして有名な一本足打法について、すごく理路整然と話していて、さすがだな、と驚いた。その動画の中で、王さんが神様について、こんな風に語っていたのです。
「僕は神様にお願いはしません。お参りに行ったときに、お礼はしますよ。いつもありがとうございます、とお礼はするけど、お願いはしないのです。」
つまり、ホームランは神様にお願いして打たせてもらうものではない、必要なのは自分の努力でしかないという事なのでしょう。「だって相手も神様にお願いしていたら、神様も困るでしょうしね」とも言っていました。なるほど。
藤井7段と王さんに共通しているのは、「神様に安易なお願いをしない」という点でしょうか。道は自分で切り開く、という考え方が根底にあるのだと思います。
僕のような凡人は、神様の前で手を合わせると、たった10円でこんなにお願いしてもいいのかな、というくらいお願いをしてしまうのだけれど、ちょっと反省しました。
ところで先日、あるお寺に参拝する機会があり、家族と一緒に手を合わせた。僕は相変わらずたくさんの願い事、家族や仕事、健康や息子たちの将来など多岐にわたるお願いをして、少々恐縮の思いだった。ふと見ると、隣で23歳の長男も手を合わせていたので、何をお願いしていたのか聞いてみた。すると、次のような答えが返ってきた。
「世界平和」
こういう時は、俺はいつも「世界の平和」をお願いしている。つまらないお願いじゃダメなんだよ、と言った。
息子よ、君は成長した、立派になった、と心の中でうなってしまった。自分の身の回りの小さな願い事をお願いするのではなく、世界の平和という大きな願い事をする。そんな息子を誇らしいと思うのです。
今日も最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。
神様を信じているわけではないけれど、つらいときにすがるものがある、という事は大切だなあ、ありがたいなあ、と思うのです。